南海放送50年史
187/358

清酒「梅錦」は川之江産、日本の名酒として知られる。山川酒造(現梅錦山川株式会社)社長山川浩一郎氏をほとんど日参のかたちで訪問していた新居浜支局長酒井重忠は、山川社長から新しいテレビ宣伝についての企画提案を求められていた。酒井には1982(昭和57)年の第20回大会以来、ラジオで実況中継している愛媛マラソンを、いつかはテレビで実況中継をとの夢があった。愛媛県総合運動公園から国道56号を伊予市向井原で折り返す42.195キロのコースは道路幅が狭く、高架橋や密集したビルなどで映像のリレーに障害が少なくない。それでも酒井はあきらめなかった。技術局次長森本安行、同副部長白石弘一、テレビ制作部ディレクター竹内文昭らが綿密な実地調査をかさねた結果、つなぎに2か所CMを挟むことで、全コース中継可能との結論が得られた。必要機材、要員数、制作経費などについてさらに綿密な検討を行ったのち、山川社長を訪ねて実施プランの提案を行った。2分の1枠、2,000万円の提供が決定した。1988(昭和63)年2月21日に行われた愛媛県陸協、南海放送、愛媛新聞主催「第26回愛媛マラソン梅錦カップ」は愛媛マラソン史上初のテレビ実況中継となった。大会は晴天に恵まれた。正午、マラソン参加選手629人はいっせいに陸上競技場をスタートした。グラウンドを2周するランナーをヘリコプターが望遠レンズで追う。走る集団は美しい大きな輪を描きながら、やがてグラウンドの外に力強く走りでた。技術畑出身の竹内文昭ディレクターは、大掛かりな中継システムの構築にすぐれた手腕を発揮した。彼はひさしく無人となっていた城山局舎を臨時の放送セン愛媛マラソンをテレビ初中継166第4章 ローカルワイドの時代第1放送車実況放送席スタートしたマラソンランナー

元のページ  ../index.html#187

このブックを見る