南海放送50年史
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165第3節 技術の挑戦1988(昭和63)年12月21日開催の第57期定時株主総会の後に開かれた取締役会で、大西越丙副社長が代表取締役社長に、門田圭三社長が代表取締役会長に就任した。大西社長の就任は、わが社生え抜き社長の誕生でもある。大西は創立とともに入社、ラジオの草創期にはラジオの演奏所を担当した。その後、わが社の建物建築関係について特命を受け、ほとんどを担当している。城山のテレビ局舎、城北の放送会館、本町会館、サンパーク。また、サテライト局を含めた現在のわが社のテレビ局は71局であるが、うち55局までは直接現場にタッチしてきた。大西社長は取締役会後の就任挨拶で、「これからは県内のCATVの開設も相次ぎ、空からの電波もいろいろ多様化して参ります。私どもはかつて経験したことのない激動の時代を既にオンタイムとしてタイムスケジュールに乗って迎えようとしております。皆さんと共に総力を結集してこれらの難関を生き抜き、それに向けて体制を一歩一歩固めて参りたいと思います」と述べている。また、門田会長も「私の入社した時からの一番の大きな責任は、この南海放送の創立からご苦労してこられた第一期生の人に社長を譲ることであり、それを念願にして参りました。こうして一期生の代表である大西さんにバトンタッチでき、こんな嬉しいことはないと思っています」と述べた。技術畑出身の大西社長誕生はわが社生え抜き社長の誕生であると同時に、ハード部門の進歩がますます加速する多チャンネル時代への強力な布陣でもあった。大西越丙 社長就任第3節技術の挑戦第5代社長 大西 越丙

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