南海放送50年史
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地域に素材を求めたもので、ユニークな物語作家としての才能が注目された。ラジオはいつでもどこでもリスナーに寄りそう身軽なメディアである。その媒体特性を活用した聴取者参加の大規模な行事がつぎつぎと企画され、新機軸を生み出した。1987(昭和62)年1月3日のラジオ新年番組『ざ・からおけすていしょん』は、松山市道後樋又の本社オープンスタジオで、自慢ののどを聞かせてくれませんかと呼びかけた。番組が進むにつれて出演希望者は増え、1時間もたつと1スタロビーは満員になった。翌日も同じ特別番組をくみ、延べ10時間15分の放送になった。東予や南予からもおとそ気分のリスナー達が多数かけつけた。カラオケブームにのった企画だったが、反応は確かであった。1991(平成3)年5月5日には、道後観光ゴルフ倶楽部のINコースがラジオに開放され、アウトドアイベント『地球と遊ぼう!トヨタスーパークイズ』が開催された。晴れわたった空の下、一般には開放されない緑のゴルフ場で、親子が自然と親しみながらクイズを楽しもうという趣向である。林間を歩きながらクイズに挑戦する大会には8,200人余が参加した。そのうち、クイズには760組、3,800人が挑戦し、第1次の全長2キロを歩くパネルクイズ、第2次のまるばつクイズ、決勝の早押しクイズと進み、女子大生と中学生4人のグループが激戦を勝ち抜いて、アメリカ・ディズニーランドへの切符を手にした。同じ年、1991(平成3)年5月28日から奇抜なアイディアのキャンペーンが始まった。『ラジオびっくりBOX』である。このキャンペーンは春の聴取率週間を盛り上げるために企画されたもので、1週間キャピイカーの上に、外形75×40×40地球と遊ぼう!スーパークイズ157第1節 ニュースと生活情報の融合スーパークイズに3,800人が挑戦グリーン上では熱気球の試乗会もゲスト司会は福留功男アナウンサー

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