練習ではリズムやテンポが合わなかったが、本番は大成功をおさめた。指揮者の渡辺暁雄氏は「よくまとめましたね」と、演出担当の亀田日生の労をねぎらった。ステージは1,200人の重量にも耐えるようひな壇を特設した。愛媛の音楽史上、特筆すべきコンサートとなった。ラジオドラマ『赤シャツの逆襲』が、1986(昭和61)年3月に第1回文化庁芸術作品賞、同年6月には放送文化基金賞をダブル受賞の快挙を達成した。このドラマは、新千円札のモデルに夏目漱石が決まったニュースを聞いて、赤シャツの孫娘が腹を立てるところから始まる。小説『坊っちゃん』で悪役にされた祖父は本当は立派な教育者であったと漱石を告訴。その裁判の末をラジオで架空実況放送するという内容だった。この番組はアナウンサー田中和彦が脚本を書き、ラジオ業務部の吉村斌が演出を担当、出演者にアナウンサーを起用した。「アナウンサードラマ」の誕生である。吉村は、松山在住のロックバンド「正岡省吾バンド」を起用し、自ら作詞した主題歌を歌わせるなど独特の演出で盛り上げた。1960年代後半からラジオでは、コストのかかる番組制作は敬遠された。ラジオドラマの制作が長く中止に追いこまれた環境のもとで、田中和彦は自ら脚本を書き、局内の人材を起用して、ユニークなラジオドラマを創作した。前年の『伊予の鼠小僧』をはじめ、『黒船行進曲』、『独眼竜のゆううつ』、『伊予の細道』、『瀬戸内水軍殺人事件』など、あわせて8本のアナウンサードラマのうち、4本が連盟賞優秀賞を受賞している。『伊予の細道』では松尾芭蕉の母が伊予の生まれであることから、芭蕉俳句は愛媛のものであると主張、『平成聖徳太子考』では聖徳太子が伊予の湯の岡をたたえた詩文が刻まれたという幻の碑のありかを探った。いずれも『赤シャツの逆襲』に芸術作品賞156第4章 ローカルワイドの時代
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