スを見たい」と答えた。夕方のローカルニュースは6時スタートが定位置とされたが、それより早くてもニュース番組が視聴者に受け入れられる素地があることがわかった。新しいローカルワイドニュースの誕生に最も積極的な姿勢を見せたのは門田社長であった。番組のスタート前には報道制作局の全体会議に出席し、「テレビニュースの強みは即時性、臨場性にあり、カメラアイを活かした生の情報を伝えることである。テレビが生き延びる道はニュースしかない。新しい切り口でニュースを作れば、成功はまちがいないものと確信している」と語り、スタッフを激励した。11月13日の朝日新聞夕刊(東京版)は、「秋の番組改編でニュースを強化したのは東京のキー局だけではない。ローカル局にも1時間番組が登場した」として『なんかいNEWS530』を大きくとりあげ、「キー局の番組を受けて流してさえいれば暮らしていけるといわれるローカル局が1時間の定時ニュースを作る心意気がうれしい」と拍手を送った。しかし、総力戦でのぞんだ『なんかいNEWS530』の行く手はきびしかった。午後5時半台の視聴率が4~6%にとどまり、他社とのニュース競合の本舞台となる6時台の視聴率を8~10%台に引き下げる結果となった。同年4月からスタートした広島テレビの『柏村武昭のテレビ宣言』の好調に比べて明暗を分けることになった。意識改革が不徹底とも批判された。ニュースと生活情報が複合した新しいローカルワイドニュースは、その後『特急!なんかいNEWSプラス1』として内容を一新したあともなお未解決の課題として今日に持ち越されている。創立30周年を過ぎ、わが社は地域への還元と密着をテーマ「1千人の第九」成功154第4章 ローカルワイドの時代朝日新聞1986年11月13日号 東京版夕刊
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