南海放送50年史
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わが社の貴重な財産にテレビ放送開始以来45年にわたる映像資料がある。ベルハウエルのネジ巻式16ミリカメラで撮影したモノクロフィルム、1968(昭和43)年からのカラーフィルムによるニュース・番組映像、1976(昭和51)年に採用したENGカメラによるビデオ映像は膨大な量に達していた。これらのニュースフィルムはつなぎあわせて映画フィルム用の缶に入れておき、必要時には保存原稿をたよりに探しだすという非効率な作業が行われていた。1983(昭和58)年、「ニュース・番組検索システム」づくりのための準備が開始された。報道第一部副部長篠原芳雄、報道第二部副部長高橋是、石丸秋弘が中心となり、16ミリフィルム、ビデオテープの検索システムづくりが着手された。篠原らは缶の中からフィルムをとりだしてリスト作成をはじめたが、溶けてはがれなくなったフィルムに苦労したという。映像資料の分類も必要だった。事件、事故のニュース映像は保存されていたが、ふだんの暮らしやお祭りなどの行事を映した映像がほとんど廃棄されていた。昭和30年代の椿祭りの風景など、めずらしい風景でもなかったせいか、映像がみつからない。坊っちゃん列車はテレビ開局前の1954(昭和29)年2月に引退しているので走る映像がない。1965(昭和40)年、ディーゼル機関車になっていた森松線が廃止された日のニュース映像がわずかに残っていた。1985(昭和60)年11月、検索システムとビデオテープ整理用のラックを備えた第二資料室が放送会館本館1階西隅のフロアに完成し、火入れ式ののち運用が開始された。映像資料はすべて4分の3インチビデオテープにプリントしてデータベース化され、コンピュータに登録されることで即座にとりだせることになった。映像検索システムは、ワイド化されたニュース・番組制作に厚みを加える働きをした。ただし課題は少なくない。すでに検索件数は9万アイテムニュース・番組検索システム149第1節 ニュースと生活情報の融合検索システムの端末操作映像保管ラック

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