南海放送50年史
169/358

りだしを担当するとともに、報道制作第一部(報道取材)、報道制作第二部(映像、美術、番組制作)、放送部(アナウンス)の3部に対して取材活動その他を指示(アサインメント)する役割を持たせた。わが社の組織機構で初めてのセンター制である。報道制作局次長兼チーフプロデューサー(CP)竹谷宏彦、部長兼CP森巌、副部長森田忠司以下、ディレクター要員が集められた。キャスターの宇都宮基師、永江孝子両アナウンサーもセンター配属とするなど、総力を挙げての『ザ・スケッチ』制作体制となった。CP森巌は6つのキーワードからなる短いコーナーを骨組みに60分のベルト番組を構成することに苦心したが、キャプテンシステムの索引項目を放送に移したようなヤマ場のない“生活情報”の配列は、情報に対する柔軟な編集力を失わせる結果となった。共同通信が都市型ケーブル用に開発したKINDS(カインズ)とよばれる文字ニュースをそのまま放送したことなど、悪しき一例である。音声のない文字ニュースがローリングアップするだけの時間が3~4分も続き、番組が休止しているような印象になった。経営トップの期待に反して午後4時台というむずかしい時間帯に視聴者を引き寄せることはできなかった。成功事例がまったくなかったわけではない。スーパーの店長と目玉商品の値引きを掛け合うコーナーでは主婦たちが店頭に長い行列をつくった。「中曽根内閣への支持」をテーマとする無作為の電話世論調査では視聴者からの声が殺到し、双方向による番組づくりに手ごたえを感じさせた。こうした懸命な努力にもかかわらず、地域生活情報番組としての意欲は未消化のままで、視聴率も前の番組を下回る結果になった。1986(昭和61)年9月、夕方6時からのローカルニュースを午後5時30分からに繰り上げ、6時30分までの1時間枠に拡大する『なんかいNEWS530』に発展的に統合することになり、2年半にわたる放送を終了した。148第4章 ローカルワイドの時代『情報センター ザ・スケッチ』まつちかタウンから中継

元のページ  ../index.html#169

このブックを見る