第4章 ローカルワイドの時代1984(昭和59)年2月、戦後最長の不況はようやく上昇に向かったが、民放業界は新たな課題に直面した。10月、盛岡市で開催された民放全国大会で中川順民放連会長は「民放経営は低成長時代の到来、多局化の進展、ニューメディアの登場によって“トリレンマ”(三重苦)の時代を迎えている」ことを強調し、事態の重要性を訴えた。第2次石油ショックによる日本経済の減速感は広告費を直撃、わが社の50期(1980年10月~1981年9月)のテレビ・ラジオ営業収入は前期比105.1%、その後も3~6%の低成長が続いた。プラザ合意による円高不況はさらに広告費を前年割れ近くまで落ち込ませた。1986(昭和61)年1月、郵政省は民放テレビ局を全国的に4波化する方針を明らかにし、青森、秋田などの7地区に第3局の周波数を割り当てた。一方ではラジオを全国置局するための周波数割り当てが行われ、ラジオはAM・FM併存体制へ移行した。民放経営者にとってもう一つの関心事はニューメディアの登場である。宇宙からの電波で日本全国をカバーできる放送衛星は地上波放送を「石油時代に取り残された炭焼き小屋」にするとの見方(山西由之TBS社長)に地方局の経営者は大きな衝撃をうけた。1984年1月、種子島宇宙センターから放送衛星BS-2aが打ち上げられ、NHKがダイレクトに衛星から放送電波を受信する世界初の衛星放送を開始した。この事態をうけて民放連が実施した「経営総合アンケート調査」によれば、民放各局は今後の経営の重点施策として、民放経営「三重苦の時代」第1節ニュースと生活情報の融合146
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