南海放送50年史
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正常化であった。ラジオからテレビへ、放送事業の急激な発展を背景として、労働条件をめぐる労使紛争が恒常化していた。特に労働協約の廃棄以来、労使の激しい対立は何度も愛媛県地方労働委員会の裁定に持ち込まれた。しかし、労使の相互理解は、ローカル民放としてのいちだんの発展と飛躍のために、避けては通れなくなっていた。創立25周年という節目は和解の機会としてとらえられた。1978(昭和53)年4月23日、労使トップ会談が開かれた。新しい観点に立って労使関係を見直そうと、会社側から和解の話し合いを呼びかけたのである。焦点は賃金格差の解消であった。話し合いは翌年春の賃金改定交渉、夏の一時金交渉をはさみながら続けられた。その結果、年齢給の上にもう一つの基本賃金として「資格制度」による給与体系が新設されることになった。資格制度は社員から理事まで17の等級にわけて、勤続2年から3年毎に資格値を原則として自動的に上昇させ、等級に応じた資格手当を支給する。これにより管理職に昇進しない者に対しても一定の待遇が保証される。定期昇給による年齢別加給のほか、資格進級により年功序列賃金が二重に補強されたかたちであるが、上位資格者に対しては常務会の審査で進級が決定する。翌1979(昭和54)年8月29日、和解協定に調印が行われた。この日、会社側は全社員に協定の成立を伝え、「放送の社会的使命と責任の重大性を認識するとともに、謙虚な心構えで企業の健全な発展をはかり、相互の信頼によって正常な労使関係を確立しなければならない」と、社員のいっそうの自覚を訴えた。わが社は、1966(昭和41)年に中四国の民間放送のトップを切って二週三休制を実施した。その後、社会情勢として労働時間の短縮が進み、わが社の週休二日制の実施127第2節 創立25周年

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