『剣を解く~反骨の軍人水野広徳』(構成・演出 弘岡寧彦)は1979(昭和54)年6月、南海放送が自伝を発掘した水野広徳をドキュメンタリー・ドラマの形で描いた作品である。私費留学のかたちで、二度にわたり第一次世界大戦を視察した水野は近代戦争の惨禍をつぶさにみて、アメリカを仮想敵国とする軍備拡張の非現実性をさとる。志願して退役、評論活動に入った水野は雑誌に「新国防方針の解剖」を発表し、注目された。その後、日米戦争仮想物語として書いた「興亡の此一線」が発禁となり、水野の論文、著作のほとんどは発売禁止処分をうけ、厳しい監視下でほとんど執筆禁止に追い込まれた。この番組は、俳優村松克巳を起用し、一人芝居のかたちで世人に理解されない元海軍軍人水野の苦悩と反骨を描いた。弘岡は1995(平成7)年にも、再び水野広徳を主人公とするドキュメンタリー・ドラマ『悲劇の予言者』を早坂暁の脚本、水野役に林隆三、同夫人に烏丸せつ子を起用して演出し、日本テレビ系列29局で全国放送された。この他、注目された作品に、革マル対全共闘の対立に巻き込まれて殺害された北宇和郡三間町出身の東大生兵頭清男君の事件の謎を追った『息子はゲバ学生ではない』(1979年)、ネパールで医療活動を行い、結核予防のためのBCGや栄養源としてのきな粉をおくる呼びかけを続けている岩村昇博士を現地取材して描いた『きな粉先生のヒマラヤ便り』(NNNドキュメント’79)、新派の名優井上正夫の生涯をモスクワから里帰りした女優岡田嘉子がたどった『伊予なまりが響(こだま)する』(1980年連盟賞優秀賞受賞)などがある。『伊予なまりが響する』からドキュメンタリー番組の取材にENGが使用されるようになり、作品の質、量が大きく飛躍した。122第3章 総合文化産業への出発『剣を解く』の撮影。軍服姿は俳優村松克巳『悲劇の予言者』左から 早坂暁、林隆三、烏丸せつ子
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