は大きかった。さらに、この番組から曽我泰朗は「裏側の論理」シリーズともいうべき報道番組の鉱脈を発掘する。『選挙違反者の論理』(1980年)、『非行、その論理』(1981年)、『サラ金の論理』(1983年)である。『選挙違反者の論理』は、宇和島市長選挙で現職市長と対立候補がともに買収容疑で逮捕されるという泥沼選挙を取材し、選挙のプロを自称する男のインタビューに成功した。有権者の一票が金に交換される南予の政治風土を赤裸々に伝えるものとなった。この番組は、1980(昭和55)年度連盟賞ラジオ社会番組部門において、わが社初めての最優秀賞を受賞した。『非行、その論理』も翌年度の連盟賞優秀賞を受賞している。1978(昭和53)年は、また自社制作テレビドキュメンタリー番組が大きく飛躍する年ともなった。創立25周年記念番組として制作された『父の歌が聞こえる』は、1972(昭和47)年に民教協番組『親の目子の目』で全国放送された『チェンバロを弾く少年』でとりあげた盲目の少年、武久源造君が、東京芸術大学音楽科最初の盲人学生として入学し、たくましく生きる姿を描いたものである。上京した盲目の父と武久君が目黒駅の人ごみの中で杖の音を立てながら出会うシーンが印象的であった。この作品は放送批評懇談会のギャラクシー選奨を受賞した。カメラは報道部渡辺徳雄、構成は制作部弘岡寧彦である。のちに『父から子への歌声』(1981年)90分番組となって日本テレビ系列で全国放送され、わが社初の芸術祭大賞を受賞した。テレビドキュメンタリーの飛躍121第2節 創立25周年『父の歌が聞こえる』左から 父・武久博文、息子・源造
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