南海放送50年史
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床の子規をあたたかく見守った陸羯南には観世栄夫などの配役がきまった。制作は報道制作局長松崎茂和、制作部長篠原修。演出にはシャープな映像感覚に定評があった制作部副部長の森巌を起用、資料収集に奔走した制作部の田中勝利が進行を担当した。東映東京撮影所に子規庵のセットを組み、東映の椎塚彰氏が16ミリカラーフィルムで撮影した。音楽は1973(昭和48)年に制作した合唱組曲『銅山』の作曲者、池辺晋一郎氏である。松山でのロケーションでは撮影、照明、録音などの作業にわが社の技術スタッフが参加し、ドラマ作りで多くのものを吸収した。テレビドラマ『わが兄はホトトギス』は、1978(昭和53)年6月18日午後3時から60分番組として放送され、地域の視聴者から大きな反響を呼んだ。この番組は民放連盟賞を受賞したほか、その秋の文化庁芸術祭にも出品し、わが社としては初めての芸術祭優秀賞を受けるという高い評価を得た。脚本の早坂暁(1928~)氏は北条市の出身である。海軍兵学校最後の第78期生として終戦を迎えた。旧制松山高校理科に在学中、ドイツ語学習にテキストとして使用されたフリードリッヒ・ヘッベルの小説『理髪師チッターライン』を演劇化し、その主役の老人を演じている。日本大学芸術学部を卒業後、『七人の刑事』、『天下堂々』などの作品で新進シナリオ作家として注目された。それまで南海放送とのつながりはなかったが、多忙な仕事に追われる中で、南海放送のテレビドラマの制作に指導と助言を惜しまなかった。そのすぐれた脚本と熱意が、みんなの真剣な取り組みを生んだ。早坂氏はのちに『夢千代日記』、『花へんろ~風の昭和日記』をはじめ数多くのすぐれた作品により、第一人者としての名声を確立する。その多彩な活動には瀬戸内海の風土、人、地域独自の伝統文化が作品のモチーフ、素材になったものが多い。南海放送が全国放送した『父から子への歌声』(芸術祭大賞)、『生まれたままの地球』(南極大陸の最高峰ビンソンマシ119第2節 創立25周年『わが兄はホトトギス』米空軍機が撒いた宣伝ビラを持つ早坂暁氏 日米不戦論を唱えた水野広徳の似顔絵が描かれている

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