「後編・剣を解くまで」の原稿も残されていた。そこには第一次世界大戦の実情を視察して、近代戦争の生々しい惨禍をまのあたりにしたことから、軍人としての生き方に「思想的大転換」をきたし、海軍を退役するまでの経緯が率直に述べられている。戦時中執筆の自由を奪われていた水野は、この原稿を深く筺底に秘めたまま、終戦直後に急した。すでに未亡人も世を去り、遺族の重松敦雄氏から平田社長のもとに出版の相談が寄せられたものである。遺品の中には、架空の日米戦争を描いて発禁となった『興亡の此一戦』など、貴重な資料も数多く発見された。反戦論者としての水野広徳の名を一躍有名にする「新国防方針の解剖」が掲載された『中央公論』1924年4月号もその中にあった。長い戦争の間に忘れられていた郷土出身のすぐれた思想家の再発見である。遺族、社の幹部による「水野広徳著作刊行会」が組織され、創立25周年記念事業として遺稿を世に問うことになった。また、その生涯と孤独な戦いを描くテレビ番組『剣を解く~水野広徳』の制作も決定した。資料の考証は、比較文学の権威で海軍史にも詳しい東京大学名誉教授島田謹二氏にお願いし、詳しい解題を書いていただくことになった。郷土関係の地誌・人物については、高齢の松山子規会会長越智二良氏のお手をわずらわせた。1978(昭和53)年9月、前後篇自伝に「新国防方針の解剖」の論文を添えた『反骨の軍人・水野広徳』と題する478ページの分厚な本が、経済往来社から出版された。反響は小さくなかった。作家の高木史朗氏が東京新聞のコラム欄で、深い感動をうけたという文章をよせたほか、本の入手希望が全国から多数よせられた。秋空が高く晴れあがっている。1978(昭和53)年10月12日、第26回民放全国大会が南海放送民間放送全国大会ひらく116第3章 総合文化産業への出発出版された『反骨の軍人・水野広徳』
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