オの機器を自分で操作して放送する体制がとられることになった。1975(昭和50)年には朝の生ワイド番組『こんにちはなんかい』(月曜日~土曜日)の放送時間が2時間45分に拡大された。また、同年秋のナイターオフ編成では、夜の生ワイド番組『こんばんはなんかい』(月曜日~金曜日・2時間)がスタートした。さらに午後の生ワイド番組『2時です、ラジオです』(月曜日~金曜日・2時間)など地域に密着したローカル番組が積極的に編成された。1977(昭和52)年10月、ラジオで「組織暴力追放キャンペーン」が展開されたのも『こんにちはなんかい』、『こんばんはなんかい』の二つの生ワイド番組である。この年、松山市千舟町で起きた発砲事件をきっかけに暴力団の抗争事件が続いた。わが社など地元マスコミ5社は「徹底的に組織暴力を追放する」意思を表明した。二つの番組を中心とする暴力追放の呼びかけに加え、毎月最終日曜日には30分間の特別番組『組織暴力追放キャンペーン』を編成し、覚せい剤や暴力団の予備軍となっている非行少年の問題をとりあげた。さらにホットラインを設け、市民からの情報提供や相談を受け付けた。また、市民に呼びかけ、フィードバックされたものを放送でとりあげた。これら一連のキャンペーンは翌年、すぐれた放送活動に与えられる民放連盟賞を受賞したほか、愛媛県警察本部、組織暴力追放県民会議からも感謝状が贈られるなど、ラジオの存在感を示すものとなった。112第3章 総合文化産業への出発組織暴力追放ステッカー生ワイド番組を送出したラジオ第5スタジオ
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