南海放送50年史
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生)が脚色した。『ルーツ』はテレビ朝日の放送から1日遅れて10月3日を第1夜に、2週間にわたり月曜日~金曜日の10日間、午後11時30分から連続放送された。『海は甦える』は10月15日午後2時から放送された。大型スペシャル番組の編成は、番組視聴傾向の多様化が進みはじめていた視聴者をテレビに引き戻すだけの力を持っていた。わが社のクロスネット編成は、その後も1992(平成4)年の伊予テレビ、1995(平成7)年の愛媛朝日テレビ開局まで続いた。民放2局時代におけるクロスネットは、自主的な番組選択権を地方局に与え、南海放送に対する地域の信頼度を高めた。また、キー局からの広告料金の配分など、営業面でもきわめて有利に働いた。このような恵まれた経営環境に長くあったことが、活発な報道・制作活動や文化施設建設の原動力となり、総合文化産業への道を可能にしたことを忘れることはできない。1974(昭和49)年7月、社内にラジオ強化委員会が設置された。ラジオは60年代後半からの低迷から一時的に抜け出していた。しかし、わが社のラジオ広告収入はこの年、対前年比でマイナスを記録し、一方では経費膨張を吸収しきれず、採算がむずかしくなっていた。ラジオ対策は再び重要な課題となった。新しいラジオ改革の取り組みから、1975(昭和50)年3月、さっそく二つの改革が実行に移された。まず、組織改革。本社営業局のラジオ・テレビが分離された。業務本部は前年、ラジオ局・テレビ局が新設され、営業管理部と編成部を媒体別に分けた。営業局はラジオ・テレビどちらのセールスにも対応できるかたちで残していた。地元営業の場合は広告主との直営業が多く、窓口が二元化した場合、広告主の前で営業部員が広告ラジオ・テレビ営業の分離110第3章 総合文化産業への出発

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