南海放送50年史
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その文化施設経営に関心を持つ民放加盟社は少なくなかった。本町会館の落成により、南海放送は総合文化事業という新しい経営の時代を迎えた。こうした中で、1976(昭和51)年12月27日の、第45期定時株主総会で山中義貞代表取締役会長が退任した。山中会長は南海放送の創立以来、取締役をつとめ、ラジオ・テレビ兼営にともなう、マスメディア集中排除原則により辞任した平田社長に代わって、1957(昭和32)年11月、第2代の南海放送代表取締役社長に就任した。1967(昭和42)年12月、平田社長の復帰にともない代表取締役会長となったが、テレビ事業のための資金集め、放送会館建設をはじめとする社業の発展につくした。1986(昭和61)年2月、89歳で急した。1977(昭和52)年5月2日、社内情報紙「経営情報」(B5判、タイプ印刷第1号-編集・経営管理局-)が発行された。内容は民放業界をはじめ番組制作、営業、放送技術、地域経済の動きなど、わが社の経営に関連のある関係のあるホットな情報を簡潔に要約し、毎週月曜日朝の局長会議資料に供される。この時期、放送業界はテレビネットワークが新聞資本系列に再編され、また、放送・映像技術の上でもENGカメラの導入など新しい発展期を迎えていた。さらに、わが社の場合は本町会館と名付けた文化施設事業を新しい経営の柱に加えて、経営指針の全社への浸透、組織を超えた連携とバックアップを必要としていた。第1号の内容をみると、①テレビ視聴率調査速報(4月11日から17日まで県下5地区で実施)の結果、②CM一体化自「経営情報」の創刊山中義貞会長の退任105第1節 新たな地域貢献活動

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