たが、1976(昭和51)年度の第12回全国大会の開催に名乗りを挙げ、本町会館のオープンにあわせて南海放送が大会の行事運営を主管することが決定した。さっそく常務・業務本部長の田中覚を委員長とする企画準備委員会を発足させた。事務局には社内各部から15名が事務局委員を委嘱されて、半年間にわたる準備にあたった。大会テーマは、「ライフサイクルとテレビ~こころ豊かな生きがいをもとめて~」と決まった。こうして迎えた第12回民教協全国大会は、1976(昭和51)年10月28、29日の二日間にわたり、本町会館を主会場に開催された。第1日は社会関係者、民教協加盟社の番組制作・編成関係者など500人が集まり、開会式・オリエンテーションが行われた後、家庭教育とテレビ利用、老後の生きがい追求とテレビ利用などについて5つの研究会が開かれた。第2日は全県下から集まった視聴者、約1,500人が① 幼児教育とテレビ ② 家庭教育とテレビ③ 少年教育とテレビ ④ 豊かな老後とテレビ⑤ 女性の生き方とテレビの5つの分科会に参加した。午後からは松山市民会館大ホールに会場を移して全体会議が開かれた。分科会のまとめに続き、作家小松左京氏の講演、大会記念番組『ぼくらの世界』(11月4日全国放送)の公開制作があり、閉会式は福井放送に次回全国大会主管局を引き継いで幕を閉じた。二日間にわたる大会行事は、文部省、民教協関係者からも極めて好評だった。著書『ミュンヘンの小学生』で西ドイツのシュタイナー教育を紹介した早稲田大学教授子安美智子氏、『昼下がりの中学生』で自意識の強い中学生を描いた東京都立中学校校長の望月宏氏など、分科会パネリストの多彩な顔ぶれとともに、本町会館という自社のまとまった会議施設を利用できたことも、スムーズな大会運営をたすけた。104第3章 総合文化産業への出発第1日目は500人が参加大会第2日目
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