南海放送50年史
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第3章 総合文化産業への出発1976(昭和51)年10月1日、南海放送本町会館が開業した。赤いタイル外壁の9階建ての建物が濃緑のお堀に映えてよく似合った。柿落しは「いよてつそごうファッションショー」、「三越秋の逸品会」、「’76秋冬パリ・プレタポルテコレクション」と華やかな行事が続き、多数の来客でにぎわった。前年の1975(昭和50)年5月27日、定例取締役会は「西堀端社有地の有効利用計画」を議題にはかり、総合的な文化施設を持つ会館施設の建設を決議した。戦後もすでに30年を過ぎていたが、松山市にはまだ近代的なコンベンション機能を持つ施設がなかった。社長の平田陽一郎はライオンズクラブの活動などに参加するなかで、松山市に全国規模の大会イベントを招致する施設が必要と感じていた。宿泊こそ道後温泉の旅館街があったが、300人規模の会議や宴会の場となる近代的なバンケットホールを持たなかったからである。折から「生涯学習」が注目を集めており、「こころの豊かさ」を求める文化活動への志向も強まっていた。余暇時代の到来である。わが社は1964(昭和39)年に道後樋又の放送会館へ移転した際、松山市松前町の旧本社建物と土地は売却していたが、日本郵便逓送から買い取った本町1丁目の隣接地700平方メートルはそのまま残していた。その後、東雲神社への合南海放送本町会館の誕生第1節新たな地域貢献活動100本町会館建設予定地

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