南海放送50年史
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の民放で行われており、なかには、計画どおりの成果を上げていないところもあった。わが社の場合は、伊予鉄不動産の協力で、交通の便がよく集客の実績のある松山市福音寺のイヨテツスポーツセンター内に、約5,000平方メートルの用地を確保できたことが幸いした。メーカー側もわが社の計画に強い期待を寄せ、準備は順調に進んだ。1971年7月17日、8社のプレハブメーカーの参加によって「RNBモダン住宅展」がオープンした。旺盛な住宅需要を反映して、連日、多くの入場者が訪れた。展示ハウスのほか、住宅関連商品の共同展示や住宅相談室も設けて、情報の提供にあたった。当初は2年間の計画であったが、新しいメーカーの参加やミニハウスコーナーの新設などがあって1978(昭和53)年7月まで7年間にわたって開催された。その後、今治、新居浜、西条、大洲など県下9か所で住宅フェアを開催。住宅情報を提供して、県民の間で好評を博している。1973(昭和48)年10月、第四次中東戦争によるオイルショックは、石油価格が3か月で4倍に高騰するなど、石油の輸入に依存してきたわが国の産業、経済を混乱に落とし入れた。物不足のうわさが流れ、トイレットペーパーなどの買いしめに走る消費者もいた。1974(昭和49)年の国民総生産は、実質で1.2%のマイナス成長となり、わが社の営業収入も、第42期(1973年12月~1974年5月)は、前期を下回った。南海放送にも、資源と経費の節減を図るため、1973年12月6日から三次にわたって、暖房、電気、車の使用などに対する節約令が出された。オイルショックは放送本体にも影響した。電力節減対策に協力して、1974(昭和49)年1月7日からテレビの放送終了時オイルショックと放送97第4節 文化事業活動買いだめで混乱する店頭(写真提供:共同通信社)買いだめで混乱する店頭(写真提供:共同通信社)

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