南海放送50年史
116/358

行動、視聴行動、活字メディアとの関係、民間放送への理解を問うものであった。この調査結果は、愛媛大学の越智昇助教授の指導によって細かく分析され、1966(昭和41)年12月、『地域と民放~地域社会は民放に何を期待するか~』という冊子にまとめられ刊行された。社内の業務推進に貴重な資料になったのはいうまでもないが、民間放送と地域との関わりを科学的に分析したものとして学術的にも高い評価を受けた。この後も、1968(昭和43)年2月に第2回総合世論調査を行い、『地域と民放Ⅱ~番組とCMの課題をめぐって~』にまとめられている。また、『地域と民放Ⅲ~テレビ選挙への出発』、『地域と民放Ⅳ~ミカンキャンペーン~』と、地域と民放は1970(昭和45)年までに4冊が刊行された。1966(昭和41)年、四国四県の県庁所在地に夏まつりをと、徳島の阿波おどり、高知のヨサコイ鳴子おどりに連携する形で、「松山おどり」が始まった。松山おどりのために“つづみおどり”が創作され、踊り連が松山市内の商店街に繰り出した。そのフィナーレのイベントとして、1968(昭和43)年に、愛媛県警察音楽隊の演奏会が計画された。会場を松山市営球場とし、その企画・演出の依頼がわが社にあり、制作部の東川稔と運用部の渡部頼之らが中心となって、2時間のショーに構成したのが「ミュージック・ナイター」だった。8月13日夜の松山市営球場のスタンドには、約1万7,000人の観衆が詰めかけ、四国各県の警察音楽隊や小学生のトランペット隊によるドリル演奏、白バイ隊のパレード、花火など、光と音を生かしたスピーディーな構成は、観客を魅了した。ミュージック・ナイター95第4節 文化事業活動

元のページ  ../index.html#116

このブックを見る