南海放送50年史
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93第4節 文化事業活動翌年創立15周年を迎える1967(昭和42)年の暮れに、南海放送賞が制定された。「多年にわたり福祉活動に貢献のあった人びとを顕彰し、地域社会の福祉の発展を図るとともに、福祉の思想の高揚に資することを目的とする」(南海放送賞規定第1条)当時、愛媛県内の顕彰制度としては、県教育委員会の教育文化賞と愛媛新聞社賞が知られていた。これらの賞は各分野で頂点に立った人に贈ることを目的にしていたが、これに対し南海放送賞は、地域福祉の最前線で黙々と活動している人びとを対象にしたのが特色である。放送活動、事業活動の延長線上で発掘した人々を顕彰することを主眼とした。わが社は、ラジオキャンペーン番組『愛媛の底辺を知ろう』(1960~61年)などにみられるように福祉活動に積極的に取り組んできた。また、1963(昭和38)年から毎年12月にチャリティ・ショーを開催し、放送や事業を通して福祉事業に関わってきた。南海放送賞は、それらをさらに発展させたものである。選考委員は、県社会福祉協議会長、県民生児童委員協議会長、県民生部長、愛媛新聞社長、それにわが社の社長の5人であった。選考の結果、第1回南海放送賞には、北宇和郡吉田町の養護老人ホーム吉田愛生寮の寮母・森タミヱさん(48歳)、喜多郡五十崎町のくるみ保育園園長・日野茂代さん(45歳)、今治市の蔵敷保育所主任保母・小南海放送賞の制定第4節文化事業活動第5回「南海放送賞この人を」第5回「南海放送賞この人を」

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