南海放送50年史
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回の放送と再放送を始めた。当時のカメラはガラガラという音が出るキャノンスクーピックで、幼児の日常の姿をそのまま撮影したいカメラマンをずいぶんと悩ませた。以来、毎年6か月間『はばたけ3才』のタイトルで15分番組を26本制作・放送するほか、育児体験作文を募集するなど県の家庭教育相談事業に協力した。1989(平成元)年からタイトルが『すこやかえひめっ子』と変わり、取材対象も幼児から学齢期直前までの子供となった。番組制作の背景には、核家族化が進行し、子育ての智恵が伝承されなくなっていた。プログラムの作成では、事業年度毎の重点目標にもとづき、幼児の健康、生活習慣、遊び、ともだちづくりなど幅広いテーマが選ばれた。1998(平成10)年、県教育委員会は、相談事業の役割は終えたとして放送委嘱を中止することになり、『すこやかえひめっ子』(『はばたけ3才』)は通算650回、25年間にわたる放送を終了した。1974(昭和49)年4月1日から『かどを曲がって3軒目』(月曜日・午後6時~6時30分)が始まった。企画書には「私たちの身近な街にスポットを当て、あたりまえの生活の中から思いがけない発見をお見せします」とある。タイトル通り、向こう3軒両隣り的コミュニティを温かく描く番組を目指した。番組ジャンルは娯楽である。スタジオに街のセットを作り、多彩で愉快なゲストを呼び込んだ。曽我泰朗アナウンサーの軽妙な司会ぶりが視聴者に好感をもって迎えられた。町の話題や独特の職人芸などの紹介も、曽我アナウンサーとリポーターの堤宏史氏のコンビでユーモラスに味付けをした。人々の暮らしや人情が滲み出る番組となっていった。市井で伝統を守っている人が登場する“どっこい生きてい『かどを曲がって3軒目』登場90第2章 大いなる飛躍へ街角のセットの前で『かどを曲がって3軒目』

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