一方、『愛大医学部への提言』は、1972(昭和47)年1月11日、愛媛大学へ医学部の設置が決まったことに始まる。愛大医学部は、医師不足に悩む県民が待ちに待ったものであった。だが、当時の大学の医学部は、その閉鎖性が問題視されていた。小説『白い巨塔』のイメージも強かった。はたして大学の医学部が、地域の医療へ向け開かれたものになるか、その為にはどうすればよいか、わが社はテレビニュースの中で、2月2日から5日間にわたって“医学部開設への課題”を取り上げた。さまざまな角度から問題点を提起した。このキャンペーンの中心になったのは番組『愛大医学部への提言』であった。愛媛大学担当記者薦田士を中心に、余田実、志摩武、亀田日生、石丸秋弘をスタッフとして準備を進めた。10月29日の第1回の放送以来、7回にわたる30分番組は次のようになっている。第1回「愛大首脳陣に聞く」、第2回「医師不足の現状」、第3回「期待される医師像」、第4回「公害に取り組む医学部」、第5回「へき地の声を聞く」、第6回「外国から見た日本の医療」、第7回「総集編・私たちの医学部に」特に、第5回「へき地の声を聞く」では、須田正己医学部長と木村忠院長に、上浦町、面河村、城辺町を訪ねてもらい地元の人と座談会を開いた。その場で、乳幼児や老人の死亡例、救急体制の不備を訴える人もいた。へき地医療に関する切実な要望もあがってきた。地元での座談会は、地域医療の実態を浮き彫りにし、大きな成果を得た。また、大阪大学で医の倫理講座を担当していた中川助教授らも番組に出演するとともに、強力なブレーンとしてスタッフの指導にもあたった。この医学部への提言キャンペーンには、これから医学部を立ち上げようとする医学部の首脳陣も関心を示すなど反響も大きかった。その後、愛媛大学医学部は、地域医療においてユニークなカリキュラムを組むなど、地域を支える医学部と87第3節 創立15周年 民放2局時代『愛大医学部への提言』取材第5回「へき地の声を聞く」取材第6回「外国から見た日本の医療」収録
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