南海放送50年史
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の取材である。取材班は、班長が池内央、カメラが武田充彦、亀田日生、ディレクターが平岡英の4人であった。番組の取材対象は、井関農機からバンコクへ家族で移り住み、エンジニアセールスマンをしている渡部胖(ゆたか)さんであった。彼は、取材班が到着する前にマラリアにかかり入院するという事態になり、スタッフをやきもきさせた。そうした情報を得て一行はマラリアの特効薬キニーネを多量に準備、また出発前に平田社長らとともに護国神社で安全祈願を受けた。スタッフは1968(昭和43)年7月18日に松山を出発、タイのバンコクから取材に入ったが、気温は40度を超えていた。亀田カメラマンは、カラーフィルムは温度変化に弱いのでクーラーボックスにフィルムを入れ持ち運んだ。また、ラオスのビエンチャンでは空港で、ベトナムから帰ってくるアメリカ人捕虜の取材をスクープしたが、池内はそのフィルムを日本テレビへ送るため、治安の悪い路地を迷いながら郵便局へやっとたどり着く経験もした。取材班は県人の協力で、タイ、ラオス、マレーシア、シンガポール、香港、台湾と6か国を回り、8月26日に帰国した。これらの取材番組は創立15周年記念テレビ番組『アジアに生きるえひめ』のシリーズとして10月1日から放送された。第1回「5人の平和部隊」、第2回「台湾の農業と農機具」、第3回「タオルとテトロン」、第4回「バンコクの渡部さん」、第5回「総集編」を放送した。ラジオでは10月7日から第1回「5人の平和部隊」、第2回「海外へ進出するえひめの企業」を放送した。なお、平岡ディレクターが制作した「バンコクの渡部さん」は民放連盟賞中四国審査会で最優秀賞を受賞した。わが社のテレビ・ドキュメンタリー番組としては初めてのものとなった。また、番組は県下の社会科の教材として利用された。取材中に撮影したスチール写真を展示し、県下5か所で「アジアに生きるえひめの写真展」を開いた。こうして開局15周年目にして取り組んだ海外取材は、報道活動の視野をひろげる意83第3節 創立15周年 民放2局時代寺院の取材松山空港を出発するスタッフタイで稲作の取材炎天下の取材

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