南海放送50年史
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た。6月28日、午後1時から、本館3階東側に新しく設置されたコンピュータ室で火入れ式が行われ、中央処理装置(CPU)に掛けられた紅白のテープに平田社長がハサミを入れ、山中会長によってスタートボタンが押された。わが社もいよいよコンピュータ・エイジの仲間入りをすることになった。1971(昭和46)年5月、平松常務を委員長に局長、次長10名をメンバーとする「EDPS(Electronic Data ProcessingSystem)委員会」を作り、導入計画の策定を進めた。その結果、同年7月、ローカル局が自社の業務だけを処理するのに最も効率的な機種として、HITAC-8210インライン・システムを採用し、第一次システムを日立製作所と共同開発する方針を決定した。IBMカード方式でデータ入力やプログラムの開発にあたった。1972(昭和47)年1月、プログラミングを開始し、6月17日から機器の搬入、据え付けを行い、6月28日、火入れ式を行った。この事業は企画部の松友勝俊副部長が中心になって行った。コンピュータは、まず、テレビスポットの営業管理からシステムを稼動させ、ラジオ・テレビの放送業務、給与計算、株式、調査、経理、財務と、システムアップを図り、他社に先駆けた幅広い利用を進めた。わが社初の営放システムと言える。また、1979(昭和54)年1月の知事選挙開票速報のなかで得票予測を行ったのをはじめ、10月の衆議院議員選挙では得票集計システムで、愛媛2区での3位当選者と次点の票差11票をいち早く集計し、他社より格段に早く当選を速報するなど番組への利用も多様化していった。この間、1978(昭和53)年12月、HITAC-8250オンライン・システムに機種をレベルアップ、さらに、1983(昭和58)年4月にはHITAC、M-140Hシステムに切り替え、業務処理の拡大と漢字システムの導入を図った。79第2節 放送システムの近代化EDPSの火入れ式を伝える社内報導入されたEDPS

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