南海放送60年史
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67[社史 第2部] 第2章 デジタルコンテンツのマルチユース2011年3月11日  2011年3月11日14時46分に発生したマグニチュード9.0の巨大地震の後、東日本沿岸部を巨大な津波が襲った。青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉の6県62市町村で、山手線の内側の面積の約9倍にあたる地域が浸水し、死者15,883人、行方不明2,671人(2013年6月10日現在、国土交通省調べ)にのぼった。 東京電力福島第一原子力発電所では、津波により全電源が喪失し、1号機と3号機の水素爆発や炉心の損傷などによって放射性物質の大量放出が起きた。地震・津波による被災や原発事故による避難、首都圏での帰宅困難者や関東での液状化現象など、広域的で複合的な大災害になった。 日本テレビと系列局は地震発生直後の14時57分からNNN緊急特番編成に入り、3日後の14日まで76時間継続した。この間、CMなしの放送は61時間を超えた。津波の到達が差し迫っていた岩手、宮城、福島などでは、地元向けに大津波警報を伝え続けた。NHKのヘリコプターが仙台平野を襲う津波の映像を生中継したが、報道各社のヘリコプターは、仙台空港の格納庫の中で津波にのみこまれた。 市役所や町役場など、自治体の中枢機能や情報通信網が破壊される中で、放送局は情報センター的役割が求められた。IBC岩手放送はラジオで108時間の緊急生放送を行った。被害情報から安否情報、ライフライン情報へと情報内容は移行していったが、14日から始めた1時間のラジオ・テレビサイマル放送『ふるさとは負けない!』は、6月30日まで続いた。発災直後、大規模な停電が発生したため、ラジオは最も第6節 東日本大震災と危機管理上空から見た被災地内陸部まで押し寄せる津波

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