南海放送60年史
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62第5節 中村県政と野志市長民主党連立政権の迷走  政権党となった民主党の看板政策の一つが「子ども手当」だった。選挙のマニフェストで全額国庫負担を掲げたが、5兆3千億円の財源を示すことはなかった。結局、2010年度、11年度と全国知事会など地方6団体の反対を押し切って地方負担を求めた。加戸知事は記者会見で、「地方負担が必要になったことは、国の財源が限られている中で、現行の児童手当の負担の範囲内であって、ある程度はやむを得ない面はあるとは思うが、関係大臣が全額国庫負担を繰り返し表明し、地方6団体からも全額国庫負担とするよう強く求めていたにもかかわらず、地方との協議もなく、このような結果となったことは大変残念」と述べた。「子ども手当」は2年で終わり、2012年度からは従来の名称である「児童手当」が復活した。 また、大洲市の山鳥坂ダム事業は、「ダムに頼らない治水を目指す」という方針によって凍結された。用地買収による補償を前提にして生活設計を立てていた地権者らと国土交通省の間で補償協定が結ばれたのは、凍結から3年あまりを経た2013年3月になった。この間、公共事業中止後の補償法案が、2012年の通常国会に政府提案されたが、廃案になった。山鳥坂ダムの建設を継続するかどうかについては、四国地方整備局と関係自治体などが協議し、ダム建設がコスト面などで最も有利と評価し、事業継続が決まった。 大勝利で政権交代を果たした民主党だったが、鳩山内閣は米軍基地移転問題や、政治資金規正法違反などで2009年9月16日から2010年6月8日という短命に終わった。続く菅内閣は、消費税増税を掲げ、翌月の参院選で惨敗した。 2011年1月に菅直人首相は第二次改造内閣を発足させ、脱小沢一郎路線を目指した。3月には東日本大震災が発生し、7月に「脱原発」を表明したが、8月30日に総辞職した。 代わって9月2日に野田内閣が発足。TPP交渉参加や八ッ場ダム建設の継続を発表した。2012年1月、野田佳彦首相は内閣改造を行い、2月に復興庁を発足させた。3月には消費

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