南海放送60年史
14/136

6第2節 多額の設備投資と厳しい決算旧本社跡地の売却  デジタル投資資金の借入れとともに遊休資産の売却交渉が進められた。とりわけ、道後樋又の旧本社跡地は文教地区にあり、不動産業者からの引き合いも多かった。最終的には2008年1月に、隣接する松山大学に売却することになった。あわせて松山大学(森本三義理事長・学長)との間で、情報発信による地域貢献を目的にした産学連携の協定書を締結した。研究成果をはじめとする松山大学の情報発信に南海放送が協力するほか、市民大学講座の共同開催、学生が参加したラジオ番組の制作などの連携を目指していくことになった。 また、東京支社は2003年10月に、29年間慣れ親しんだ銀座4丁目のサッポロ銀座ビルから、地下鉄東銀座駅近くに新築された時事通信社ビルに移転した。高度成長期を過ごした東京と松山の二つの思い出深い場所から拠点を移すことになった。(東京支社は2009年10月13日に港区東新橋の日本テレビタワー20階へ移転) 東京や大阪支社の社宅も順次売却し、売却益を確保した。大幅な赤字  2003年度から3年間は、後に「いざなみ景気」(2002年2月~2007年10月)と呼ばれた景気回復基調の中にあって売上数字は安定した。 創業以来の9月末決算を2003年度決算から業界のほとんどの企業と同じ3月決算に切り替えた。円安を背景とした輸出企業の好調、株価の上昇なども企業業績に寄与した。外資系企業の積極的な投資による都市部での不動産価格の上昇や低金利政策などは、結果的にデジタル化投資の資金確保を後押しする効果があった。デジタルカメラ、DVDレコーダー、薄型テレビが「デジタル三種の神器」と呼ばれた。 しかし、サラリーマンの平均年収が増えないことをとらえて「実感なき景気回復」とも呼ばれたように、個人消費は伸び東京支社がある日本テレビタワー

元のページ  ../index.html#14

このブックを見る