南海放送60年史
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97[社史 第2部] 第3章 開局60周年、そして第3の創業へあった。 大前提として、総務省は当初「マルチメディア放送はモアチャンネル。新しいビジネスモデルの構築と成長を」という戦略であった。しかし当社をはじめ多くのラジオ社は、デジタルラジオ受信機はゼロからのスタートであり、経営的に成り立たない事などから、サイマル放送を経てアナログラジオからデジタルラジオへの移行、脱皮をイメージしていた。 また、「音声優先セグメント」を求めていた民放連内部でも二つの考え方が相譲らなかった。即ち、FM東京を中心とするグループはV-Low帯に於いて、3セグメントを使う“映像”“音声”“新サービス”の合体した「マルチメディア放送」を志向し、東京AMキー局を中心としたグループは、1セグメントを使った従来のラジオ放送をメインにイメージした。 前述した2011年3月の東日本大震災によって、皮肉にも災害時に強いラジオが認知され、「災害報道」における立ち位置が大きくクローズアップされた。 2012年12月の総選挙で政権交代があり、自民党政権は、震災を教訓に国土強靭化計画を発表し、翌2013年2月に総務省は「放送ネットワークの強靭化に関する検討会」を立ち上げた。 2012年4月に日本テレビ系列のNNS(Nippon Television Network System)メディア委員長に就任した当社の河田社長は、従来ラジオ問題を俎上にあげることの少なかった日本テレビ系列で、ラテ兼営社12社を中心に、「NNSメディア委員会・ラジオ部会」を設置して、社内でも「ラジオの将来像を考えるプロジェクト」をスタートさせた。 これによって、ラジオのデジタル化やラジオの活性化など、かつてないほどにラジオ問題が論議されることになった。 このNNSのラジオ部会や社内プロジェクトは、FM活用による新しいAMラジオ像の構築を図る一方で、引き続いてV-Lowマルチメディア放送の可能性などを探っている。 60年を経過した我社のファーストメディア「ラジオ」は、今一番の正念場と大きな分岐点に立っている。

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