南海放送50年史
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第2章 大いなる飛躍へ1966(昭和41)年6月20日、テレビ番組の自動送出システム=APS(Automatic Program System)の試験運用が開始された。テレビ番組はキー局からマイクロ回線で送られてくるネットワーク番組のほか、自社独自編成の番組素材(フィルム、VTR)、スポットコマーシャルや番組PRのテロップカード素材などが秒単位で進行する。テレビマスター(主調整室)では、編成部進行担当部員とマスター勤務の技術部員(スイッチャー)が時計をにらみながら声を掛けあい、煩瑣なスイッチング操作で番組を切り替える作業を行っていた。自動制御装置により番組の送り出しは正確になり、マスター業務が大幅に軽減される。採用されたAPS第1号機は専用小型電算方式で、ランダム・データインも可能だった。半年余りの慎重な試験運用を経て、1967(昭和42)年2月から午前8時15分~午後3時までの時間帯での運用がスタートした。さらに1年あまりのちの1968(昭和43)年3月から、全放送時間でのAPS運用となった。機械的な番組送出は温かみに欠けるとの意見をいれて、テロップカードの切り替えにはやわらかなディゾルブ(溶暗)モードなどを追加する手間をかけたりもした。その後、放送番組の自動送出システムは急速に進展する。1969年3月にはラジオにもAPM(Automatic ProgramMachine)が導入され、全時間帯での運用が始まった。テレビAPS第1号機は室内温度の変化に弱く記憶容量も少ない仕事を変えたAPS第2節放送システムの近代化70APSの制御卓

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