南海放送50年史
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出動を急いだ。三津港の松山海上保安部桟橋にランチが接岸し、遺体が次々に松山西警察署体育館の仮安置所にはこばれてきた。ラジオは午後9時50分、特別番組体制に入り、乗客名簿を速報するとともに空港に到着したラジオカーから刻々の情報をJRNネットワークをつうじて全国に放送した。全日空機遭難対策本部が松山西警察署に設置された。テレビは午後11時からの『きょうの出来事』で事故現場の状況を逆ネットでリポートしたあと、ラジオとともに終夜放送を続けた。夜が明けた14日、海上は強風で荒れていた。すでに21遺体が収容されていたが、巡視船、漁船、ヘリコプター、セスナなど海・空からの大規模な捜索が展開された。ラジオは中島町営汽船のフェリーくれない丸にラジオカーを乗せて、波しぶきをかぶる船上から遺体捜索の状況を生中継で伝えた。午前10時からは55分間の『報道特集・YS-11機墜落』を放送し、事故発生からの経過、捜索状況、遺族の不安と悲しみにふれた。テレビもまた、加藤海運のフェリー阿賀丸をまわしてもらい、全国をデモンストレーションで巡回中のソニーの小型VTR車を積載し、海上での捜索状況を取材した。まず午前7時の『NNNニュース』で事故の経過、遺体の捜索状況、遺体仮安置所における遺族との悲しみの対面を伝えた。身元が確認された遺体は松山市末広町の正宗寺に安置された。7時15分からはローカル報道特別番組を放送、午前8時30分からの『木島則夫モーニングショー』では約50分にわたり山崎全正アナウンサーが事故の模様を全国に詳しく伝えた。その映像はABCのネットワークを通じて全米に放送された。14日午後7時、海上自衛隊水中処分隊が松山市釣島の南々東7.5キロの海底で垂直尾翼など機体の一部を発見した。66第2章 大いなる飛躍へ回収された機体の一部わが社の取材カメラマンも遺体搬送を手伝った

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