南海放送50年史
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円の給与引き上げを行う。②初任給は賃金改定の範囲内で別途協議することを明らかにした。労使交渉が続く中で、民放連(日本民間放送連盟)副会長に就任した山中社長がシカゴでひらかれるNAB(全米放送事業者連盟)年次大会の視察団長として渡米することになった。会社は山中社長の渡米前の交渉解決を急いだが、双方の主張のひらきが大きく、労働組合側の申請で愛媛県地方労働委員会(地労委)の斡旋をうけた。しかし、歩みよりはみられず、29日午前1時に打ち切られた。南海放送労働組合は、直ちに24時間後の30日午前1時以降ストライキに入ることを会社側に通告、テレビ局舎の入口から主調整室に通じる階段に座り込み、会社側の立ち入りを拒否するピケを張った。一方、会社側は地労委に調停申請を行うことを労働組合に通告し、争議行為は違法である旨の申し入れを行った。さらに、調停をうけずにストに入ることは労働協約違反であり、ピケはテレビ局舎の不法占拠であるとして争議行為の中止を申し入れ、役員や管理職者が説得に努めたが、成功しなかった。送信機の電源は切られたままとなり、30日午前6時30分から始まるテレビ番組が放送できなくなった。午後4時、会社は松山地裁にピケを排除するための仮処分を申請、夕刻テレビ局舎を検分した係官が仮処分の執行を内示したが、夜になっても停波したままで、人気番組の『モーガン警部』、『琴姫七変化』、『南海週間テレニュース』などがとんでしまった。本社には視聴者から「きょうの放送がみられないのはどういうわけか」と電話の問い合わせが殺到した。労働組合は31日午前0時55分、仮処分の執行を待たずピケを解除したが、24時間にわたる停波となった。会社はこの争議状態の中では正常な放送が行われないと判断し、「ストに参加した従業員はおって通知するまで出社に及ばず」との社命を本社とテレビ局舎の玄関に掲示し、社内へのすべての入り口を閉じてしまった。しかし、ロックアウトは労使対立をさらに深刻化させる結果となった。49第3節 試練を越えて玄関に貼り出された社命

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