南海放送50年史
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46第1章 草創期の南海放送によると、世帯単位でみる限り1日平均のラジオ聴取時間は4時間30分で、前年調査より40分も増加しているが、それまでのように聴取率が50%を超す番組がなくなった。新しい傾向として、朝の番組の聴取率がそろって高くなるという結果が得られた。夜はテレビを視聴する家庭が次第にふえてきたこと、トランジスタラジオやポータブルラジオの普及でラジオの聴き方がパーソナルに変化していると考えられた。それはよく聴くラジオ番組が「演芸もの」から「ニュース・お知らせ」に変わったことからもうかがわれた。ラジオ聴取傾向の変化は、ラジオ営業収入にストレートに影響した。テレビ開局から半年が過ぎた第12期(1958年12月~1959年5月)の営業収入は7,842万円(月平均1,307万円)を記録したが、これをピークに下降する。ラジオ広告主が夜の番組から朝の小刻みな番組に移る傾向があらわれた。1959(昭和34)年11月10日、松山ラジオ局が1キロワットから3キロワットに増力された。松山局の放送エリア拡大を機会に電波料を改定するなど、ラジオ収入の低落くいとめ策に懸命となった。番組編成にも手を入れた。1960(昭和35)年1月から音楽と生活情報をミックスした生ワイド番組「リズムジャーナル」(午後3時~同4時)をスタートさせた。また、ラジオ東京をキー局に、全国11社がリレー中継する『日本北から南から』(土曜日午後4時~同5時)に参加するなど、ラジオの同時性と機動力を生かした番組に力を入れた。同年7月には本社のラジオ、テレビ営業を一体化し、営業の総合力によるラジオ強化をはかった。深夜の時間帯にも手を入れ、1960年4月から午後11時に受験生を対象とする『数学総合講座』(30分番組)をネットで編成し、『ドリーム・エコー』とつないで放送終了時間を午前0時まで延長した。ラジオ送信所の無人化も進められた。1959(昭和34)年末には松山局、1961(昭和36)年には新居浜局と宇和島局が無人化された。1962年12月27日、松山局がさらに5キロワットに増

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