南海放送50年史
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43第3節 試練を越えて地方局のテレビ経営は「亀が象を背負うようなもの」とさえ危ぶまれたが、予想外に順調な滑りだしとなった。南海放送テレビが開局した1958(昭和33)年12月現在の愛媛県下のテレビ受信契約台数は、わずかに7,452台である。翌年の1959(昭和34)年6月になると、1万5,000台に達した。普及率はまだ4.7%に過ぎなかったが、1週間に43時間15分のプログラムのうち、75.1%にあたる32時間はすでにネットワークスポンサーで埋まり、スポンサーががら空きでスタートしたラジオに比べてはるかに恵まれていた。テレビ開局最初の半年間、第12期(1958年12月~1959年5月)こそ、ラジオの営業収入7,842万円に対してテレビ営業収入は5,879万円だったが、1959(昭和34)年8月には月間売上でラジオとテレビが逆転し、その差は急速にひらいて行く。収支のバランスも1年ほどで見通しがもてるようになった。第18期(1961年12月~1962年5月)の営業収入は、3億107万円となり、テレビ営業収入は2億3,818万円。テレビとラジオの営業収入対比は、3.7倍となった。テレビの経営がこのようにいち早く軌道にのった背景には商品の規格大量生産時代を迎えて、テレビの全国宣伝媒体としての強さが認識され、テレビ経営、はやくも軌道に第3節試練を越えて新居浜テレビ塔RT 1RT 2RT 3RT 4RT 5RT 6RT 7RT 8RT 9RT 10RT 11RT 12RT 13RT 14RT 15RT 16RT 17RT 18RT 19RT 20

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