南海放送50年史
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時代である。わが社は開局にそなえて松山市駅前、道後温泉駅前など市内4か所に街頭テレビを設置した。その街頭テレビの前が黒山の人だかりになり、通行に支障がでるほどの騒ぎになっているというのである。一方、祝賀会が終わった堀之内の愛媛県民館では高倉健、岩井半四郎、久保菜穂子、柳亭痴楽、青木光一、明石光司らの出演で南海放送創立5周年・テレビ開局記念演芸会が昼夜2回、にぎやかにくりひろげられた。昼の部は録音で、夜の部は生放送の特別番組としてラジオで放送された。この年、1958(昭和33)年はまだ「鍋底景気」といわれる長い不況が続いていたが、春には4人乗りの軽自動車スバル360が発売になり、マイカー時代の先がけとなった。インスタントラーメン、缶ビールが発売され、「消費は美徳」消費革命時代の到来とうたわれた。11月27日には皇太子さまと正田美智子さんの婚約が発表され、熱狂的なミッチーブームが巻き起こった。南海放送テレビジョン開局の日、1万円札が発行された。南海放送テレビの平日の放送は、正午の『日本テレニュース』に始まり、午後1時15分でいったん休止となる。午後6時前に番組を再開し、午後10時40分の放送終了が基本パターンであった。日曜日の午後はこれに映画、劇場中継、スポーツ中継が放送された。大相撲が1年6場所制になり、NHKと競うかたちで放送された。南海放送テレビと視聴状況32第1章 草創期の南海放送街頭テレビに人だかり(松山市駅前)

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