南海放送50年史
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経済連、信用連)である。また毎週第1土曜日には地元の歌手が出演する『歌の星座・花ごよみ○月の歌』を放送した。南海放送管弦楽団、ひばり唱歌隊、南海放送劇団員など50人近い一座を乗せるために中古の木炭燃料バスを買い入れて、まだ電波の届いていない町や村までまわった。会場はどこも超満員で、舞台の上まで人がれるほどの盛況であった。開局翌年の7月21日、伊予鉄道梅津寺野外ステージの完成を記念して行われた『大街道・湊町対抗歌のタイトルマッチ』では両商店街ともに趣向をこらした応援団を繰り出して番組を盛り上げた。司会陣はアナウンサー第1期生の岡本徹、佐伯佳子らが務め明るく華やかな個性が人気を集めた。京都放送からチーフアナウンサーとして迎えた宮本兀の洗練されたディスクジョッキーも評判となった。特別番組『クリスマスイブ電話リクエスト』の反響がまたものすごかった。対応し切れぬほどの希望が一度に殺到したため、松山電話局の交換台が大混乱となり、苦情が持ちこまれるほどの騒ぎになった。さっそく翌年1月から『ゴールデン歌謡リクエスト』として月曜夜8時からのレギュラー番組になり、電話局では特別勤務を組んで協力してくれることになった。懸案の3万株1,500万円の増資を決めたのは、四国国体最終日の10月26日に開かれた取締役会である。平田社長、河上常務ほか総務局員全員が奔走して、1株500円の株式を10株、20株の細かい単位でも知り合いなどに買ってもらった。1954(昭和29)年2月12日には増資の登記が終わり、資本金は当初計画どおりの5,000万円に達した。徹底した経費節減18第1章 草創期の南海放送『花ごよみ6月の歌』公開録音風景

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