南海放送50年史
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わが国で1925(大正14)年に始まったラジオ放送は音声による新しい表現方法をもたらした。その一つである「放送劇」(ラジオドラマ)は、草創期から多数の傑作を生んだことで知られる。1941(昭和16)年、NHK松山放送局が開局し、さっそく『松山声の小劇場』が放送されている。終戦後には民主主義についての啓蒙を主眼とする連続キャンペーンドラマ『あなたならどうしますか』が放送されるなど、すぐれた放送作家を生む土壌となった。この時代に活躍したシナリオ作家として地元在住の坂本忠士、菅野清、川本三郎、光田稔らがいる。のちに美術評論家として知られる洲之内徹もシナリオ作りに参加した。「劇団かもめ座」を主宰していた高橋丈雄もラジオのためにシナリオを多数書いている。松山出身の『中央公論』編集者で、俳人としても知られる篠原梵が帰郷しており、劇作家であった夫人の村田修子もラジオドラマに作品を発表した。終戦後、青年を中心とした文化運動が盛り上がる中で、ラジオ南海の開局は地域におけるもう一つの文芸活動発表の場となって武智成彬、名本栄一、小田武雄、高橋光子ほか地方在住の作家たちがラジオドラマ作りに積極的に参加した。ドラマ制作を中心とする制作課は、課長の河田利一(ペンネーム本庄住男)以下4名である。のちにすぐれたホームソングなどの作曲家として有名になる小倉博が参加していた。『こけしの夢』(平山忠義)、『青春春風詩 風薫る丘』(本庄住男)の30分ものドラマ2本のほかに、月曜日から土曜日までの連続ドラマをスタートさせた。少人数のため、文字通りがむしゃらな番組制作である。録音用の第1、第2スタジオは深夜多彩なドラマ群16第1章 草創期の南海放送ラジオドラマ録音風景。左の奥は天野祐吉氏ラジオドラマの録音

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