南海放送50年史
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吉田はこの年の暮れ、再開されたソビエトからの引揚船興安丸の帰国を舞鶴港に取材した。当時は市外電話が容易に通じなかったが、手まわしよく予約電話を申し込んで、現地からのリポートを送ってくるあざやかな手際をみせた。これ以降、帰国船が舞鶴に着くたびに特派員を現地に送り、帰国者の氏名、表情、抑留地の情報とともに、県人未帰還者についての消息収集に力を入れた。この報道活動は、「引揚者の情報はラジオ南海にかぎる」と評判になるほどで、肉親の安否を気遣う留守家族たちに喜ばれた。報道第二課は定時ニュースの編集、株式市況を担当した。課員は楠課長以下8名。『愛媛新聞ニュース』のクレジットが付されたニュースは放送開始直後の朝5時45分に始まり、平日は15本放送される。正時に始まるNHKニュースを意識して、すべて時報前に編成された。ニュースの放送順序にも、ローカルねたを重視して特色を出すように苦心した。編集作業は輪番制を組んで共同通信社のヘルシュライバー(東通工製の印字送受信機)から細いテープに印字されてくる新聞社用の原稿を放送言葉にリライトする。地元ニュースは愛媛新聞社編集局に出向いて原稿を見せてもらい、これを放送原稿にリライトした。高松市に集中していた官公庁の出先関係のニュースは共同通信社松山支局で受け取ったが、速記体に似た手書きの原稿には判読に悩まされることが多かった。天気予報は、松山測候所(松山地方気象台)に提供を受けた。株式市況は時事通信社松山支局で一覧表に速報値を書き込む。速報のスピードに慣れるまでが大変だった。15第1節「ラジオ南海」の誕生報道第二課(卓上左側にヘルシュライバー)

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