南海放送50年史
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設定であったが、ラジオ広告の効果について懸命に説明しても、容易に理解されなかった。街頭スピーカーの宣伝の料金と比べて高すぎるという理由で断られたこともある。新聞広告でも、映画館の広告が目立つくらいの時代である。設立発起人や株主になってくれた地元企業に日参した結果、伊予鉄道、三越、愛媛相互銀行(現愛媛銀行)などの地元有力企業がスポンサーになってくれた。毎夕6時45分から放送の『スポーツニュース』を提供した松田博愛堂(現松田薬品工業)はベルト番組を契約してくれたローカルスポンサーの第1号である。北条市鹿峰の本社まで砂利道を自転車で通いつめた成果であった。「ヒラミン、ヒラミン、頭痛にヒラミン」のCMは一躍有名になり、ラジオ広告の強さを理解してもらえる契機となった。また、大街道・湊町商店街の若いリーダーにグループ化を働きかけてラジオ広告の共同利用を提案した結果、おしゃれ関係の店による『松山装美会アワー』が開局3日目にスタートした。営業課では「声のポスト」係りをもうけて聴取者の意見や感想を聞くことに努力した。リクエストに応えることにも気を配った。リスナーお好みの音楽をかける伊予鉄道提供『希望音楽会』もその一つである。テーマ曲には明治41年に大和田建樹が作詞、田村虎蔵の作曲で生まれた「伊予鉄道唱歌」を使うなど独自のローカルカラーを生みだすことにも苦心した。お昼休みにリクエスト曲で構成する『思い出のリズム』も人気番組になって、商店のスポットCMに利用された。1950(昭和25)年に公布された放送法の三大原則は、①「放送の最大の普及」②「放送による表現の自由の確保」③「放送が健全な民主主義の発展に資する」ことである。力を入れたニュース報道活動13第1節「ラジオ南海」の誕生料金表

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