南海放送50年史
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特に1997(平成9)年には松山自動車道の伊予市までの延伸、今治と松山を結ぶ国道317号水ケ峠トンネルの開通、新空港道路の開通が予定されていた。1996(平成8)年4月、曽我泰朗報道制作本部次長は、しまなみ海道開通までの3年間、夕方ニュース『特急なんかいニュースプラス1』の中でしまなみ海道の開通に向けた動きや高速道路の延伸などをシリーズで特集することを決めた。シリーズの名前は「えひめ21世紀への足音」と決まった。シリーズは5月に国道317号(松山-今治)水ケ峠トンネル開通への動き、しまなみ海道開通に向けた航路補償の問題を特集したのを皮切りに、観光、経済、文化それにしまなみ海道誘致を目指した歴史などを様々な観点から特集した。また、「えひめ21世紀への足音」シリーズの報道特別番組としては『新高速交通新時代へ』(1997年1月5日放送・55分)、『国道317号温泉郷ルート開通』(1月28日放送・55分)、『県都にハイウェーがやってきた』(2月26日放送・55分)、『新松山空港道路開通』(3月16日放送・30分)、『めざせ観光ルネッサンス』(1998年1月4日放送・50分)が放送された。取材の過程で報道部三谷隆司が手に入れたのが元衆議院議員仮谷忠雄の手帳だった。三木内閣で建設大臣を務めていた高知県出身の仮谷は「1ルート3橋案」で架橋建設の凍結解除を行い、大三島橋の起工式に出席した直後に急した。仮谷の遺族から手に入れた手帳には架橋建設に向けた各県の誘致活動や政府自民党内のやり取りが生々しく書かれていた。この仮谷メモと当時架橋誘致に取り組んだ県内の政財界関係者、行政担当者の証言をもとに報道特別番組『陳情合戦と政治的判断~いかに本四架橋は誘致されたか~』(1998年5月31日放送)が制作された。しまなみ海道開通の1年前だった。253第3節 文化遺産の継承伯方・大島大橋開通式(1998年1月)松山自動車道 川内-伊予間開通式国道317号全線開通式(水ケ峠)

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