南海放送50年史
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この「経営情報」は、1977(昭和52)年5月2日に第1号を発行、20年後の1997(平成9)年3月31日に1000号目を迎えた。土居社長は、「経営情報1000号」の発行を間近に控えた3月28日の部長会議の挨拶で、次のような言葉を贈っている。「経営情報は、事業年度ごとの業務計画、経営方針、その他に関する情報共有の機能のほか、時代の流れのなかで、経営がどのような選択を行ったか、また放送・営業・文化事業の歩みなどが細かく記録されている。この蓄積が、これから幕をあける激変期において知恵と活力の源泉になり、次の世代にわれわれの生きざまを映し出すだろうことを確信している。情報を創造し、それを活用、管理することにわれわれの特性があることを心に入れ、経営情報1000号の発刊を心から祝いたい」。1997(平成9)年9月29日、松山赤十字病院で大西越丙会長が去した。享年71歳。南海放送の創立記念日にあたる10月1日、伊予郡松前町高柳の自宅で葬儀が営まれた。10月16日には松山市民会館大ホールで社葬が行われ、土居社長の弔辞に続き氏家齊一郎民放連会長、伊賀貞雪愛媛県知事、鮎川恭三愛媛大学学長が追悼の言葉を述べた。大西会長は新居浜工業専門学校電気科を卒業後、いなづま電気(松山市)に勤務していたが、235第1節 地方局、冬の時代へ松山市民会館大ホールでの大西会長追悼式経営情報1000号

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