南海放送50年史
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第1章 草創期の南海放送「JOAF、JOAF、こちらはラジオ南海です。四国松山から周波数1120キロサイクルでお送りしております。ただいまから、本放送を開始いたします」。1953(昭和28)年10月1日午前5時45分、愛媛で初めての民間放送ラジオ、南海放送の誕生を告げる若さに満ちた第一声が電波に乗った。この年1月6日、松山市大手町1丁目の愛媛新聞社の一室に「南海放送創立事務所」の看板が掲げられた。戦後の日本に民間放送設立の動きが本格的に始まったのは、1950(昭和25)年6月1日、放送法、電波法、電波監理委員会設置法の電波三法が施行されてからである。その年、電波監理委員会は、全国の地方都市に1局ずつ免許するとの置局方針を発表した。翌年9月1日、早くから準備をしていた中部日本放送と新日本放送が民間放送第1号として名古屋と大阪で開局した。中四国地区でもその1年後、広島では中国放送が、徳島では四国放送が開局したが、愛媛ではまだ、さしたる動きがみられなかった。1952(昭和27)年秋、愛媛新聞社社長平田陽一郎はイギリス外務省の招待をうけて、地方新聞社視察団の一員としてBBC(英国放送協会)を訪問した。平田社長は一行の中にいた神戸新聞社社長田中寛次氏から新時ヨーロッパからの電報第1節「ラジオ南海」の誕生2視察中の平田陽一郎

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