南海放送50年史
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南極大陸の最高峰から360度の眺望は、神々しいまでに一点の汚れもない、真っ白な浄衣をまとった無限につづく山々の連なりであった。宇宙と溶けあったその光景に感動のあまり大塚進はファインダーが見えなくなった。「泣くな」。田中勝利がカメラを奪い取って眼下にひろがる雪と氷のパノラマを撮影した。世界で初めてビデオカメラがとらえた南極大陸最高峰からの展望であった。南海放送隊は第3キャンプに残った白川隊と別れて下山し、16日パトリオットヒル基地に帰着した。予定通りプンタアレナスに戻ったあと、天候が回復するまで10日間もフライト待ちを繰り返して南極半島のキングジョジア島に飛んでペンギン、アザラシの生息地を撮影し、フィールドワークに来ている科学者に話を聞いた。ふたたびプンタアレナスに帰り、プエルト・モンにある大王製紙の植林会社「フォレスタ・アン・チレ」を訪ねた。広大な乾燥地に成長の早いユーカリの木が栽培されている。自然樹林を伐採してパルプの製紙原料とすることには限界があり、地球環境に大きな影響をもたらすことになる。製紙工業のありかたに転換が進められているのであった。南海放送隊は2月12日、52日間にわたる海外取材を終えて無事に帰国した。撮影した30分収録のビデオテープは56本にもなった。日本テレビの協力を得て、全国ネットワーク番組としての放送が決定した。番組構成を早坂暁氏に依頼し、タイトルは『生まれたままの地球』となった。しかし、南海放送隊がビンソン・マシーフに単独登頂したことは、のちに白川義員氏とのあいだに修復不可能な亀裂を生んだ。1月12日、白川隊と南海放送隊は第4キャンプまで到達したが、白川氏は登頂に慎重を期していったん第3キャンプに引き返した。一方、南海放送隊はツアー会社のスケジュール白川義員氏との決別203第2節 創立40周年

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