南海放送50年史
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申を経て、1991(平成3)年4月26日に伊予テレビ(現あいテレビ)に予備免許が交付された。そして7月3日に設立総会が開かれ、伊予テレビは正式に誕生した。1992(平成4)年6月には経営面、番組面ともTBSに一本化され、伊予テレビは10月1日に開局した。愛媛では23年ぶりの民放テレビ局の誕生だった。10月16日、伊予テレビの開局を待ちかねたように郵政省は電波監理審議会に愛媛の4局目、福井、高知の3局目を設置するための「放送普及基本計画」と「放送用周波数使用計画」の一部変更案を諮問し、12月18日には4局目の割り当てが決まった。すでにバブルは崩壊し、広告費の落ち込みは深刻だった。こうした景気低迷の影響とトップ人事の調整の遅れから当初予定よりは遅れたものの、愛媛地区の第4局、愛媛朝日テレビは1995(平成7)年4月1日に開局した。このあと1996(平成8)年10月の岩手、1997(平成9)年4月の山形の第4局開局が続いた。愛媛朝日テレビの開局から1か月後の5月、郵政省はチャンネル未割当地区へのチャンネル割当は新規開局要望の有無を基本とするなど、これまで続けてきた多局化政策に一応の区切りをつける考え方を明らかにした。これに先立ち同年3月29日、郵政省の「マルチメディア時代における放送のあり方に関する懇談会」はデジタル放送の必要性を提言し、地上デジタル放送の導入開始時期を2000年前半からとする報告書が発表された。郵政省の地上波テレビ政策の重点は多局化からデジタル化へと転換されていく。大規模、多チャンネル、多目的の都市型CATVは愛媛県内でも1987(昭和62)年以降、事業化計画が相次いで打ち出された。1989(平成元)年には新居浜テレビネットワーク、今治CATV、ケーブルネットワーク西瀬戸がCATV施設設置都市型CATVの開局191第1節 激動期の経営伊予テレビ愛媛朝日テレビ

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