南海放送50年史
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1985(昭和60)年9月10日、石川県金沢市で記者会見した左藤恵郵政大臣は「民放テレビの2局地区は17地区(周波数を割り当てられながら置局されていない徳島、佐賀を含む)あるが、さらにもう1局の開設を求める要望が強くなっている」と発言し、2局地区の約半数を3局化する考えを示した。この発言を受けて、郵政省は全国的な多局化へと動き始めた。同年12月18日、郵政省は2局地区を3局化し、さらに将来民放テレビを4チャンネル化する目標を決めた。翌年(1986年)1月17日、郵政省は民放テレビを将来全国的に最低4チャンネルにする目標を設定。そして、この目標を実現させるための第一段階として、一挙に青森、秋田、岩手、山形、富山、石川、長崎の7地区に3局目を割り当てることを内容としたチャンネルプランの修正が決定された。さらに1987(昭和62)年4月には郵政大臣の私的諮問機関「ニューメディア時代における放送に関する懇談会」からチャンネルプランの策定根拠の法制化などについての報告書が出された。これを受け、翌年(1988年)4月には放送普及基本計画と放送用周波数使用計画の策定を盛り込むなどした放送法と電波法の一部改正案が可決、成立した。1989(平成元)年11月13日、郵政省は電波監理審議会に対して、石川の4局目、大分、宮崎の3局目、そして当初周波数問題で多局化が困難としていた愛媛、山口の3局目を開設するための放送普及基本計画の変更を諮問した。12月19日に電波監理審議会の聴聞会が開かれたが、各県の代表が多局化について「早期開設を」、「情報化に前進」と賛成意見を述べた。伊賀貞雪愛媛県知事の代理として出席した今井康容調整振興部長は「基本的には望ましい」としながらも「CATVが県下6地域で計画され、一部では来年度にも開局する。CATVの経営基盤を確立するうえでも、計画変更(3波割り当て)は保留していただきたい」と愛媛地区への早愛媛の民放も多局化へ187第1節 激動期の経営

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