南海放送50年史
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学文学部哲学科を卒業後、京都日々新聞、大阪毎日新聞で新聞記者としての経験を積んだ後、1942(昭和17)年、愛媛合同新聞(愛媛新聞の前身)に編集局長として迎えられた。戦後すぐの1946(昭和21)年、37歳の若さで愛媛新聞社代表取締役社長に就任した。1953(昭和28)年9月には南海放送の代表取締役社長を兼務して経営の基礎を築いたが、テレビ事業の免許申請にあたり、マスメディア複数支配を禁止した「集中排除原則」により、新聞経営に専念する。1962(昭和37)年、知事選挙に出馬するため愛媛新聞社社長を辞任、志は果たせなかったが、1966(昭和41)年12月末、南海放送代表取締役社長に返り咲いた。創立15周年を迎えて、テレビのローカルワイド『なんかいサンデー8』、ローカルニュースのカラー化、南海放送賞「この人を」の制定などにあたった。在任中、業績も順調に推移した。1978(昭和53)年、南海放送代表取締役会長、1982(昭和57)年取締役相談役に退いた。著書に『あめりか』など。弓道7段教士。絵、書をよくし、趣味、交際とも幅広く、勲二等瑞宝章、愛媛県功労章、愛媛新聞賞など多数受賞している。11月2日、愛媛県民館で南海放送ほか10社による合同葬儀が行われ、約1,500人の会葬者が白菊を遺影にささげて別れを惜しんだ。164第4章 ローカルワイドの時代平田陽一郎の書平田陽一郎相談役合同葬儀

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