南海放送50年史
184/358

レコード検索が研究されはじめた。わが社は、1987(昭和62)年、経営管理局企画部の伊達仲秋を中心におよそ1年をかけて、コンピュータによるレコード検索システムの開発を進めた。開発の目標は「放送時間に合わせた24時間運用(検索)」、「多岐多社にわたる楽曲・データの購入を一元化」、「誰でも容易に素早く検索できるよう効率化」を掲げ、開発を急いだ結果、1988(昭和63)年10月3日、新レコード検索システムが完成した。新検索システムは、当時、レコード室を管理していた放送部長、森教子の命名により「オーロラ」と決定、門田社長が火入れ式を行った。「オーロラ」(ARORA)とは、Automatic Reference Of Record Arrangementの頭文字をとったものである。この「オーロラ検索システム」は、1989年度民間放送連盟賞技術部門で優秀賞を受賞した。すぐに高知放送から導入したいとの要望があり同システムを販売した。翌年、東芝から、オーロラシステムの販売権を買い取りたいとの申し出があり譲渡した。同システムは東芝の販売網にのり以後3年間で、高知放送を含む20社に導入された。1990(平成2)年10月には、全国のオーロラ導入社と東芝、オリジナル・コンフィデンス社等が南海放送に集まり、情報交換等のために第1回の全国民間放送オーロラ会議を開催した。なお、このオーロラシステムは、2003年10月現在、全国26社で稼動している。1988(昭和63)年10月10日、南海放送取締役相談役平田陽一郎が療養先の松山赤十字病院で去した。享年79歳。告別式は10月12日、松山市末広町の正宗寺で営まれた。平田は1908(明治41)年、八幡浜市に生まれた。京都帝国大163第2節 経営規模のさらなる拡大レコード室(オーロラ)のレコードやCDのラック

元のページ  ../index.html#184

このブックを見る