南海放送50年史
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する実行委員会を組織し、花火大会の演出、また見物席や駐車場の確保、観客輸送と、それに伴う交通規制などの問題に取り組んだ。地元の了解も得られたことから1983(昭和58)年8月10日、松山まつり前夜祭花火大会として実施された。当日は、陽の高いうちから弁当付き園内観賞券を持った見物客がサンパーク行きの特別バスで会場に詰めかけた。また堤防付近も大勢の人であふれた。炎天下、150人の従業員が作業を分担、演出、進行、クライアントの対応、さらに渉外、交通整理や交通案内などに汗を流した。1時間に3,000発の花火が夜空を焦がした。松山まつり前夜祭の祭典に集まった観客は15万人にのぼった。こうして松山市民に親しまれてきた花火大会であったが、その後、住宅が花火打ち上げ地域に迫った。1997(平成9)年2月の高速道路開通以降は、松山南警察署より、道路が煙にまかれ交通渋滞を起こし、交通事故にもつながりかねないとの警告を受ける状況になった。そのうえバブル崩壊後の経済環境の悪化で協賛社の数も減り、大会の維持管理に支障をきたしていた。松山市では、三津浜でも夏の港まつりの一環として花火大会が行われていた。2000(平成12)年秋、松山港まつり振興会が市の意向を持って来社、松山市の花火大会を一つにまとめ、三津浜へ移行したいとの提案がなされた。関係機関と協議した結果、まつやま花火大会をより盛大なものにするため、会場を三津浜へ移し開催することになった。18年間続いた重信川河川敷での花火大会は2000(平成12)年第18回をもって幕を閉じることになった。わが社では三津浜の港まつり花火大会を盛り上げるため、事前告知など広報活動での協力を続けている。143第4節 創立30周年サンパーク園内の観客席芝生の上でくつろぐ観客

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