南海放送50年史
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するより、海外に精錬工場を移すほうが競争力の点ではるかに有利なのである。磯浦工場にアルミニュウムのインゴットが、なぜ雨ざらしのまま野積みされているかが分かった。報道制作局長土居俊夫が企画書を書いた。「産業構造の変化」とは何か、が番組の主題である。幸い住友側からダム建設工事とアルミ精錬工場完成の映像資料の提供を受けた。新居浜市を中心とするリポートと全体の構成を薦田高士、生産縮小が進む新日鉄釜石と市街地の変貌を田中勝利、国際貿易港シンガポールへは弘岡寧彦が飛んだ。その前年、1981(昭和56)年10月14日、アサハン水力開発利用事業によるアルミ地金を日本向けに初出荷していた。番組のクロージングで薦田は「日本は今や高度経済成長という栄光の時代は終わりを告げ、変わって、産業構造の変化の波が大きなうねりとなって押し寄せて来ている」と語りかけた。戦後の日本が大きな転換期を迎えていることを、地域の視聴者に呼びかけるローカル番組としては異色の報道番組となった。番組企画書が常務会で決裁されてから放送まで、1か月足らずの日数だったが、番組のインパクトは小さくなかった。民放連盟賞報道番組部門で優秀賞のほか、文化庁芸術祭でも優秀賞を受賞した。テレビ番組『分岐点~1982新居浜』とともに、1982年11月14日に放送したラジオ番組『子どものための合唱組曲・どろんこのうた』が、1983(昭和58)年1月21日に、芸術祭優秀賞をダブル受賞した。東宇和郡野村町にある知的障害をもつ児童生徒のための施設、野村学園で、指導にあたる仲野猛先生は、生徒がわずかに言葉にあらわした心の動きや感動を見守っていた。仲野先生は生徒に粘土をこねさせて陶板を作り、言葉の一つ一つを拾い上げて刻ませる。それを窯に入れて夜通しで焼いた。『どろんこのうた』133第3節 転換期の時代と放送

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