南海放送50年史
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れを1時間20分の番組として重厚に構成した。音楽の池辺晋一郎氏は、生前の父博文さんが朗々と歌うシューベルト作曲「冬の旅~楽に寄す」を、源造君への黙示として、リコーダーの音色で表現した。この番組は、国際障害者年特別企画IBMスペシャルとして、1981(昭和56)年9月26日、日本テレビ系列11社で放送された。放送が終わると、全国各地から番組に対する感動、武久源造君への激励の声が南海放送に多数寄せられた。この作品はまた、ブルガリアの海岸都市ヴァルナ市で開催された第10回赤十字国際映画祭に日本からの招待作品として上映され、審査員特別選定作品に選ばれた。1980年代前半は戦後、高度経済成長に向かって疾走を続けた日本の産業界に、大きな構造転換が起きた時代であった。地場産業もまた、その急激な変化から例外ではありえなかった。1982(昭和57)年6月30日に放送されたテレビドキュメンタリー番組『分岐点~1982新居浜』は、新居浜市磯浦の住友アルミニュウム精錬工場が操業停止に至る背景を描いた報道特別番組である。番組制作のヒントは、南太平洋の民族研究で知られる鶴見良行による著書『アジアはなぜ貧しいか』(朝日新聞社刊)にあった。インドネシアのスマトラ半島中部にあるトバ湖から出る水をせき止めて、大規模なダムと発電所が建設されている。マラッカ海峡を望む広漠たる荒地に港湾施設のほか、住宅、水道設備、学校など、労働者のための社会基盤(インフラストラクチャー)と共にアルミ精錬工場が建設され、そこに長大な送電線によって電力が送られる。アルミニュウムは電気の缶詰と言われるほど製造コストにおける電力費の割合が高い。電力料金の高い日本国内で生産『分岐点~1982新居浜』132第3章 総合文化産業への出発『ドキュメント分岐点』のタイトル『ドキュメント分岐点』取材風景・住友化学愛媛工場で

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